プロフィール

1987年:東京にて出生。4歳頃からピアノを習いはじめる
1994年:目黒区立東山小学校入学
1998年:小学五年生のときに学校のオーケストラクラブにてホルンを始める

2000年:目黒区立東山中学校入学。吹奏楽部とバレーボール部を兼部
2003年:東京都立日比谷高等学校入学。音楽部オーケストラ班に所属。部長も務める。

2007年:東京藝術大学音楽学部器楽科ホルン専攻に入学
2011年:同大学大学院前期修士課程音楽研究科器楽専攻に入学
2013年:同大学院修了。修士論文のテーマは「ヴァイオリン・ホルン・ピアノによる三重奏の歴史ーその誕生に焦点を当ててー」。
仙台フィルハーモニー管弦楽団にホルン奏者として入団

2015年:星陵フィルハーモニー管弦楽団(日比谷高校OBOGオーケストラ)とR. グリエール作曲《ホルン協奏曲 変ロ長調 Op. 91》を共演
仙台フィルハーモニー管弦楽団と R. シューマン作曲《四本のホルンのための小協奏曲 Op. 86》をソリストの一人として共演
2015〜2016年:ミュンヘン音楽演劇大学に Gaststudent として半年間留学。同大学教授 J. Hinterholzer氏に師事。ナチュラルホルンも学ぶ。
2018年:「新進演奏家育成プロジェクト オーケストラ・シリーズ」にて仙台フィルハーモニー管弦楽団と Y. ボウエン作曲《ホルン協奏曲Op. 150》を共演
2020年:東京交響楽団にホルン奏者として入団
2024年:東京交響楽団を退団

師事歴

故・伊藤泰世先生(2001〜2006年)、守山光三先生(2005年〜)
西條貴人先生(2007年〜)、日髙剛先生(2010年〜)、伴野涼介先生(2012年〜)、J. Hinterholzer先生(2014年〜)

その他

・大学の副科声楽にて、萩原潤氏のレッスンを受講。歌の面白さに目覚め、副科の実技試験ではシューマン作曲《詩人の恋》を歌った。その後数年間、萩原氏のプライベートレッスンを受ける。
・中学校教諭専修免許状、高等学校教諭専修免許状取得

カジュアルな感じのプロフィール

1987年:目黒区にて生まれる。その後4歳頃まで日野市で育つ。
1991年:ピアノを習いはじめるが、嫌で嫌で仕方がなかった。
1995年:J POPに興味を持ち始める。初めて買ってもらったCDはglobeの《DEPARTURES》
1996年:スピッツに出会う。それからずっと好き。
1998年:友達に誘われ、小学校の管弦楽クラブに入部。本当はトランペットがやりたかった。
学校の図書室で野呂信次郎著『名曲と楽聖のはなし』を見つけ、音楽史と作曲家に興味を持ちはじめる。他にその本を借りる児童もいなかったので、一年間借り続ける。ベートーヴェンの生年月日もこのときに暗記。

2000年:中学校では吹奏楽部とバレーボール部を兼部。バレーボール部では副部長も務める。ポジションはセンター→ライト(今で言うミドルブロッカー→アウトサイドヒッター?)。
本格ミステリー小説(島田荘司綾辻行人など)にハマる。
クラスの友達とゲーム感覚でテストの点数を競っていたら、やたら成績が良くなる。
スピッツの曲を弾き語りするためだけにギターを始める。父親が学生時代にバンドをやっていたため、フォークギターもエレキギターも既に家にあるという恵まれた環境。

2003年:東京都立日比谷高等学校入学。音楽部オーケストラ班に入部。「オーケストラがある高校か、吹奏楽が盛んな高校」という基準で進学先を選んだ。東海大学付属高輪台高校も受験していた。
両親からの高校合格のご褒美はスピッツのライヴ
ソロ演奏のコンクールである日本クラシック音楽コンクールに出場。自分のことを上手いと勘違いしていたが全国大会に進めず、非常に悔しい想いをする。それをきっかけにプロのホルン奏者を目指しはじめる。
2004年:オーケストラ部で部長になる。
父親に「音大に行きたい」と伝えるも猛反対され、一年近く「行きたい」「駄目だ」の平行線をたどる。
2005年:師匠のお力添えもあり、父親から「一年目は東京藝大のみ受験してよい。それで駄目なら二年目は藝大に加えて一般大学も受験すること」という条件付きで受験を許され、嬉々として藝大受験を目指す。

2006年:東京藝大の一次試験で不合格。合格発表を見たその足で予備校を探しにいく。Z会の教室に入会。日中は藝大受験の準備、夕方以降は予備校と勉強という過酷な浪人生活を送る。ホルンも上手くならず、一般大学模試も「D判定」ばかりだった9月は「終わりの見えない長いトンネル」にいるような感覚に陥る。持病のアトピーが悪化。
阿部雅人先生と運命の出会いをし、そこから奏法を一新。入試本番三ヶ月前に音がほとんど出なくなったが、不思議と不安はなかった(やるしかなかった)。

2007年:東京藝術大学入学。勉強も頑張ったので、早稲田大学文化構想学部や明治大学文学部などにも合格。上智大学は落ちた。
9月頃久々に受けた阿部先生のレッスンで「吹き方、元に戻ってるぞ」と言われ、一新したはずの奏法が元に戻っていることに気づく。そして、その瞬間からまた音が出なくなる。それから三年程続く奏法探しの旅が始まる。

2008年:クラシックばかり聴いていてスピッツからは少し離れていたが、たまたま渋谷のタワーレコードで試聴した新アルバムの一曲目が良すぎて「やっぱり好きだ」となる。

2009年:大学の近くのフランス料理屋でアルバイトを始める。

2010年:大学院の学費を稼ぐためにムーブ町屋という荒川区の文化施設で事務のアルバイトを始める。

2012年:何を思ったか、大学院一年次に漢検二級を取得。

2013年:仙台フィルに入団。入団した月に、右も左も分からないままロシア公演にも参加。
仙台に住みはじめて三ヶ月で、街に対して地元並みの安心感を抱くようになる。

2014年:仙台フィルメンバーとフリーランスの音楽家で木管五重奏を組み、録音審査を通過し、ミュンヘン国際音楽コンクールに出場。二次予選には進めなかったものの、非常に大きな経験値となる。
また、このときのミュンヘン滞在でたまたまミュンヘン音大教授の J. Hinterholzer教授のレッスンを受けることができ、即決で「あなたのもとで勉強するにはどうすればいいですか?」と留学の話を進める。

2015年:ドイツはミュンヘンへ留学。住む家の手配を失敗して、半年間で二回も引っ越しをするはめになる。

2016年:仙台フィルの中の人の影響も有り、X(当時はTwitter)のアカウントを作る。
2017年:「カニのツイート」でフォロワーが爆増する。その後、#ゾネカフェ#ぞねぞねなどのハッシュタグも誕生する。
この頃から仙台フィルの労働組合の代表を務める。大変だったけれど、組織のあり方やまとめ方など非常に勉強になった。

2020年3月:仙台フィルを退団。#ゾネの思い出にて仙台フィルでの日々を思い返す。

2024年4月:神奈川県座間市に引っ越す。
2024年8月:公式サイト開設。

2025年4月:余暇の過ごし方に「将棋のタイトル戦の大盤解説を観る」が加わる。棋士の皆さんのお話は非常に面白いです。特に、高見泰地七段武富礼衣女流二段の解説が好き。
2025年12月:レッスン生に勧められてNo No Girlsを観て、どハマりする。特に、ちゃんみなに「理想の指導者像」を見出し、ちゃんみなを目指すようになる。

2026年:あなたがこのサイトを見てくださっている今この瞬間。読んでくれてありがとう!

趣味

スピッツコーヒードラマ。バレーボール。